コロナ禍は何をもたらしたのか
昨日のブログでも書いたが考える事を止めて、何でも鵜呑みにしてしまうと人間らしさはなくなってしまうと考えています。
だからと言って新しい生活様式を全面的に否定する訳ではありません。
昨日のブログと今日の出だしだけ見ればコロナ前の事を美化している人のように見えると思うが、コロナ前が最高な状況だったとは今は思わない。
そしてコロナに罹患して重症化した方、死亡した方、コロナによって仕事に大きなダメージを負った方々を冒涜するつもりはない。

ただ生きている人が出来るのは前に進む事だと思うのでコロナ前と比べて好転したと感じることを書いていこうと思います。
コロナによる変化
顔を見せるのが営業だという方も居られるかと思います。
自分もその意見に関しては一部賛同します。単純接触回数が増えれば親密になり、その人に好意を抱くので営業力は増す可能性はあると思います。
でも今は直接会うだけが接触回数を増やす方法ではありません。
特定の人と接触回数を増やすなら電話、LINE、ZOOMなどがあります。
もっと広げるならFacebook、Instagram、TwitterといったSNSもあります。
それらを活用する機会が増えて、移動時間が削減された。これは大きな影響でした。

これらのツールが会っても会いたいと思える人には会う方法を考えて会いに行く事も出来ます。
自分が本当にしたい事を見つめる時間が出来た事も大きな影響に含まれます。
そして無駄な事を削減する事が出来て効率化も進みました。逆に無駄の良さを知って有難さも感じました。
幸いな事に現時点でコロナによって重篤な症状になった人もお亡くなりになった人も身近な人でいない事で存在してくれている事が凄い事で有難い事というのも感じることが出来ました。
これらはコロナ前であれば何も感じることなく過ごしていた事です。
たまには のんびり
コロナに感謝する訳はないが、様々な事を考える時間を与えてくれた事だけはコロナ禍になって唯一良かったことだと思っている。
そのまま時が過ぎれば何も考えず、コロナ以前のスタイルが良いと思い続けていたと思います。
元に戻したい事もあるが、それはそれで徐々に戻せるように工夫すれば良いと思っています。
コロナという強制イベントで考える時間を得たが、普段から今の行動やパターンを見直すために立ち止まって自らを見直す時間は設けた方が良いと今回の事で強く感じました。
