自分は預言者?
良く『なぜ分かったんですか?』と聞かれることがある。
相手がどういう行動または発言をすると思いますか?とか、将来どうなると思いますか?みたいな話を聞かれたら自分の考えを発言することがあり、上記の話になる。
もちろん宗教の教祖でもないし、預言者でもない。

自分としては何パターンか発言しているし、外れることも多いので正確には『分かっていない』のだが、占いと一緒で信じたものを見る傾向が聞く側にあるだけだと思っている。
でも比較的に当たると言われるのであれば、それが出来る理由はポジティブではないからかもしれない。
預言者のカラクリ
ネガティブの意味としては否定的、消極的という意味だが、悪い訳ではないと思っている。
ネガティブな思考を常にしていると病気にもなると思うが、何かを考える際にポジティブだけだと取り返しのつかない事にもなりかねない。
何が起きても楽しめるぐらい極端なポジティブであれば話は別だが、中々そんな人も居ないというのが現実なので。
そういった意味でネガティブも大事だし、ポジティブも大事だと考える。

思考の癖みたいなものなのでネガティブ思考だからといって落ち込むことはない。そうは言っても落ち込みやすい思考なのは自分も同じ思考なので理解しています。
ネガティブ思考は、思考として悲観して終わると何も良いことはないです。でも「ではどうするのか?」という思考に切り替えて対策を講じていく上では大切な思考だと感じています。
最悪の事態を考えることが出来るという能力はポジティブな人には出来ない能力です。
もちろん最悪な事態以外の様々な負の想定は思い浮かぶので様々な未来が想定できる。そして、それぞれ対策を考えることが出来れば、仮に最悪の事が起きたとしても想定しているし、対策も練っているので気持ちとして辛くても、あまり動じない。
それはどんな未来が来ても対応が出来るということだと思っている。

未来を予想しているのではなくて負の想定から対策を考える癖があるので預言者のような扱いをしてもらっているのだろう。
最悪を想定し、最善を尽くす
1800年代のイギリス首相ベンジャミン・ディズレーリの言葉を少し変化させた『最悪を想定し、最善を尽くす』という言葉が一番しっくりくる思考です。
元々は『I am prepared for the worst, but hope for the best.(最悪の事態に備え、最良の事態を期待する)』という発言で『Plan for the worst, hope for the best(最悪に備え最善を望む)』に変わり、自分が動き、努力する意味を日本語に意訳する際に「尽くす」という言葉に変換されたとなっています。
東日本大震災の際に『想定外』という事が乱発したが、想定できていなかったことを反省し、次を想定して考えて行動をする必要があります。
だからノリと勢いの人は苦手です。そういう人も居ないと変化は起こしにくいので重要なんですよ。でも苦手です。そういう思考なので許してください。。。
見通しを立てて考えて行動しても想定外の事は起こる。それを極力なくすには様々な情報のインプットとアウトプットを繰り返すしかないですね。
