意味や原理原則を求める傾向
効率を重視する傾向があるせいか、どうしても意味や原理原則を求めてしまう。
そのせいか会話をしていると『いや…そうなんだけど…』と周りを困らせることや、屁理屈と言われること、それ聞いてどうなるの?という事が、多々あります。
社内会議で言えば余計な事を言うやつですね。

長期的に見て…という様な事を話しますが、語彙力のなさもあり説得しきれない自分の不甲斐なさを感じます。
それはさておき、何故、意味や原理原則を求めるかという事は知ってもらえたらなと思うので書いていこうと思います。
新たな方法の発見
社会人になってから成功している人からのアドバイスとして「何故?」を繰り返しなさいと言われる機会が多くありました。
3回繰り返しなさい、10回繰り返しなさい、何故が出てこなくなるまで、と回数は様々でしたが、それが物事を知るための最短の方法だと教えてもらいました。
ある方に言って頂いた『何故を突き詰めなさい!』という一言は未だに自分の考える基礎になっています。
特に目の前の事に苦労をしている時に立ち止まって物事の原理原則を理解するために「何故?」という自問自答は必要です。

ただ前回書いたような自分を責めるようなものになってはいけません。
https://rulestype.law.blog/2020/07/13/introvertedthinking/
自分を責めずに自問自答を繰り返すと意外なところから解決の糸口が見つかったりします。
一人で行うのが難しければ誰かに頼んで「何故?」を繰り返してもらうと良いです。
自分では追い込めないところまで追い込まれる可能性はありますが…
あるセミナーに出席した際に主催者がゲストに詰められている姿が印象が強く自分が詰められた訳ではなかったのですが、帰りの飛行機で目を閉じた時に脳内なのに1:1の問答が繰り広げられた時は寝る事も出来ずグッタリした覚えがあります。
でも一人で考える自問自答と比べると質はグッと良かったです。
たまにカウンセリング的に話をする友人がいますが、自分の考えを冷静に分析出来て、相手からの指摘もしてもらえるので一番良い方法だと思います。

ただ相手がいない場面もあるので、自問自答で何故を繰り返せば物事の原理原則を知ることが出来、対応できる幅が増えると思っています。
深く考えるクセを付ける
「何故?」を繰り返した方が良い事は分かって頂けたかと思います。
自問自答というよりは「審念熟慮(しんねんじゅくりょ)」という正しい道を知るために物事の本質を明かそうと深く考える事の方が言葉の意味としては合っていますね。
審念熟慮を繰り返せば深く考えるクセが付きます。

考えすぎて行動できなくなると思われがちですが、繰り返すことによって考えられる幅は広く深くなり、冷静かつ複数の方法が浮かびます。
「正しい道」というよりは「良いと思える道」が増えることによって更に行動しやすくなります。
最終は行動ありきです。考えても動かなければ一緒なので、「考える+動く」はセットで思考と行動を一致させることを意識していく事が重要だと考えています。
