因果関係を調べる思考の癖
何かが起きた際に何故このような事が起きたのだろうと原因を調べることが自分は思考の癖として持っています。
そのため何か失敗しても失敗した原因が分かると満足します。むしろ成功しても理由が分からないと悩む傾向にあります。
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共感できない人からすれば、そんなもの調べてどうするの?という風に思うでしょう。
でも自分が行った事に対して過程を理解していれば誰かに伝えれるし、自分が再度同じことをするのにも役立つと考えています。
自分の思考をまとめるなら「仮説を立てて試験を繰り返す思考」といえば良いですかね。

その思考を行うのに楽しいフィールドを求め行動し続けてきました。だから自分は自分自身に対しての理想が高いです。
それは悪い事ではないと思っています。そのお陰で年齢の割に得たものは多いことは自負しています。
自分では気付いていなかった思考
ある人と話をしていて『自分が思う相手の反応を引き出せてようやく理想が完成する思考がある。』と言われた時にハッとしました。
相手を喜ばせたいという理想が自分には強くあることも、その人から前に教えてもらっていました。
でも、それは自分自身が相手を喜ばせたいという欲求を持っているだけであって自分自身への理想だと思っていました。

自分自身が思う理想に近づきたいけど近づけなくて落ち込むのは、また頑張ろう!で解決できるかもしれません。
でも相手の反応まで含めて理想に近づこうとして出来ないとなると、いつまで経っても頑張ろう!では解決できません。
気付かされた瞬間はショックでした。喜ばせたいという欲求、理想が相手の感情まで自分で操作しようとしているのかと思ったからです。

否定するわけではなく、その行為によって喜んでくれない人がいた時に自分自身を責めても仕方ないという説明をしてもらって冷静になりましたが、ショックでしたね。
気付かせてもらうまで同じ処理をして頑張ろう!で片づけていたので、自分の中から相手の中にある答えまで探そうとし続けて自責思考になっていました。
相手の答えは自分の中にない
理想とのギャップが発生した際に因果関係を調べる癖を持つ思考の自分は自分自身の言動などから答えを探し始めます。
ただギャップが発生した根本をまず考えないといけません。
「自分自身の行いたかった理想とのギャップ」なのか「自分自身が思い描く理想の相手の反応とのギャップ」なのかを今は最初に考えるようにしています。

前者なら次の明るい事を考えられます。後者なら内に向かうことを止め、相手に聞けば良かったなぁなど対策を考えられます。
そして冷静に考えると後者の方が多いことにも気付きます。
ここからが自分の中に答えを探すクセのある人に起こる事ですが、
また同じことしてるよ?自責しても良いことは何一つ生まれないでしょ?被害者面したいの?それは「拗ね」や「逃げ」と変わらないんじゃない?
と本題からズレた自責思考が出てきます。
気付くのと行うのはまた別ですから仕方ないんですがね。
それでも出来なかった。と責めずに「今回は気付けたな。」とか、「今回は内に向かう時間が短かったな。」など少しでも良いところを見つけて自分を受け入れるようにしています。
自分の中に答えを探すクセがあるのであれば、見つからなくても理想に向かって半歩ずつでも進もうとしている自分を認めて、少しだけ自分を甘やかして休ませてあげても良いと思っています。
少し自分を甘やかして休んだら、また理想に向かっていけば良いですから。
